迷い道の先に

日々思うことを徒然と綴ります。

かわいそうの言葉

三連休はランタンが並ぶ夏あかりと、北の水族館に行ってきました。高台から臨む海は圧巻でした。
水平線を久しぶりに見た、nouzです。

今宵は自分のことを少し語ります。

なかなかディープです。
でも当事者にとってはそれが普通の世界で生きてきました。
ここら辺が世間とのズレかなぁなんて思ったりもします。


家族構成は母と兄、猫一匹です。
父と母はわたしが小学校低学年時に離婚、
思春期をちょうど迎え始めていた兄は不登校になり、引きこもりへ。

いわゆる家庭内暴力ですね。DVというやつです。

幼かったので断片的にしか記憶にないですが、
被害を受けていた母と、物心ついていた兄が受けた傷はとても深いのだと思います。

わたし自身も男性を見るときに「この人は普段見せていなくても、いざとなったときに暴力を振るう人だろうか」という視点がありますね。
ああ、この世の中には優しい人も、暴力を振るわない男性もいるのだなぁって、知ったときは驚きでした。

他人は「かわいそう」だなんて簡単に口にしますが、
言われている当人にとってそれが日常でいたって普通のことなのだから、自分がかわいそうだなんて思っちゃいません。

子どものころ、「かわいそう」って言葉が嫌いでした。
それはつまり誰かを見下しているってことでしょう。
自分を優位に立たせたいがための、それだけの言葉でしょうって。

自分の勝手な尺度で、世界を決めつけて見ている。
何て小さな世界にいるんだと。

今は少し認識も変わっています。
子どものとき大嫌いだった同情は、場合によっては人の気持ちに寄り添う優しさにもなるんだと。

しかし散々嫌悪した言葉だからか、今でも他者に対して(人間に限らず)「かわいそう」と言葉にしてしまうときに違和感があります。

同情ではなく、寄り添う。そーゆー優しさを身につけたいものです。

今宵はこれまで。
よい夢を。